戯言ヤマトの言いたい放題

普段言えないことを書きつづる。

本当の正義とは何か?

 

歴史は勝者が決める!!

今のこの世界は戦争で勝った人たちが決めているってことを理解している人たちはどれだけいるだろうか・・・

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この私の弱小ブログを読みに来てくれる方はきっと理解している方も多いだろうと感じるのだけど「歴史は勝者が作っている」ということにくわえて現代の「常識」は一部の有力者によってつくられ大多数の無知な人々によって定着している。

これらを理解している人もまた少ないだろう。

そんな社会の中で「正義とは何か?」という問題を深く考えた人はどれくらいいるだろう。

とある哲学者が「5人を助けるために1人を殺すことは許されるのか?」

そんな問いかけをしている。

 

ddnavi.com

10月3日はイギリスの女性哲学者フィリッパ・フットの誕生日にして命日である。1920年10月3日に生まれ、2010年10月3日に90歳で人生を終えた律儀な彼女が世に投げかけたのが「トロッコ問題」だ。

 

偶然にも私の誕生日と同じ日で、「正義」について考えるところでフットとリンクしたことに少し運命的なものを感じた。

以前手相占いをしてもらったときと統計学の先生に「君は哲学者に向いている」っぽいことを言われたことを思い出して、それもあってかなり親近感をもった方でもある。

私の個人的なところは、ここではどうでも良いところではあるが、今の時代だからこそ「新しい正義」について考える良いタイミングなんじゃないかと思うんだ。

というのも、今の時代は「強者」が「弱者」から奪う時代で合って、必ずと言って良いほど「勝者」と「敗者」が生まれる時代だ。

常識に囚われれば盲目になる!?

資本主義」はこれらの格差が必ず生まれ尚且つ強者にとって有利な世の中でもあり、一度「弱者」の側に入れば「強者」の立場に行くことはハードルが高く、ほとんどの場合で革新的な「チャンス」はほとんど巡ってこないと言っても過言ではないだろう。

どんなに頑張っても報われない!

そんなこともたくさんあるが「チャンス」が無いわけではなく本人が気付けていないという場合がたくさんあると思うのだけど、チャンスに気付けない体質というか考え方や価値観を植え付けているのも「常識」なのではないだろうか。

それもそのはずで「頑張れば報われる」これをごり押しにするのがメディアだ。

最近では昔ほどごり押ししている感じはなくなっては来ているので少し表現も変わってきているとは感じるところもあるけども、核心的なウソをついたままなのは変わらない訳だ。

それは何かといえば、法律もそうだし、権力者にとって都合の良いところがありすぎる事を大衆には明確に気付かれないように全体構造を操作しているところにある。

現代社会は1人殺すことを正当化している!

冒頭で書いた「5人を助けるために1人を殺すことは許されるのか?」という問題に対して一人を殺して正当化するのがこれまでの社会だと感じている。

さらに思う事はこの問いかけでは6人しか登場しないが実は「5人の命」か「1人の命」どちらかを選択しなければならない状況を作った「7人番目の人物」がいて、この7番目の人間が利益を最大限に得るために選択させているのが今の社会で「最悪の場合6人全員を殺す」そんなことが起きても正当化されるのが現代社会であると感じるのだ。

本当の正義とは何だろうか?

「どちらの命を優先させるべきか」という状況で必ずしも「善」と「悪」を位置づけるには難しい問題も多々あるだろう。たとえば「出産すれば死んでしまう妊婦を救うために胎児を中絶するのは許されるか?」というような状況で選択を迫られてしまうこともあるだろう。このような選択を迫られた場合、何をもって「正義」とするかは道徳心や倫理観、価値観や判断基準で意見が真っ二つに間れてしまうとも感じるので冒頭の問いかけは前提条件が無いがために漠然とした問題であるとも受け取れるが一部の権力者によってつくられた今の社会で起こる理不尽なことも正当化されるような問題に対しては「正義」とはかけ離れているように感じてしまう。

しかし、これも人間を基準にした場合の価値観であるという事もまた事実であって人間は今や世界人口は「76億人」2050年に98億人に増え、2100年には112億人に達するという予想がされている。

人間は無尽蔵に増殖をしていき、資源を掘りつくし自然を破壊していく存在で「地球」にとっていわばガンのような存在という見方もできるわけでこうした場合に自然の摂理として考えた時に自然界では無尽蔵に増えていく生物がいる状況は異常な自体でもあるわけでそれを視野に入れてしまうと6人が犠牲になったとしても正当化出来てしまうのではないかとも受け取れたりもする。

だからと言って、仮に自分が選択を迫られた場合に、自分の命や家族の命がかかっていた場合に全ての状況を踏まえて自分が損をする選択が最善だったとしてそれを一瞬で受け入れることが出来るのかといえば「できない」だろうと感じたりもする。

そう、人間には冷静に考えればどうするべきか分かっていても「どうしてもできない」ことがある。

「正義」とは本当に難しい問題だ。